はじめに|「てつはう」って何?その音が戦場を変えた
「てつはう」とは、元寇(げんこう)の際に元軍が使用した、日本に初めて現れた火薬兵器です。
当時の日本の武士たちにとっては、「火を噴く音のする玉」が爆ぜるという、それまでにない未知の武器でした。
この記事では、「てつはう」とは何だったのか、その構造・使い方・影響について、わかりやすく紹介していきます。
てつはうとは?|漢字では「鉄砲」ではない
「てつはう」は漢字では**「てつ炮」「鉄炮」などと書かれますが、現代の銃(鉄砲)とは違う**ものです。
実際には、
- 金属や陶器製の容器に火薬を詰めた爆裂弾
- 地面や敵陣に投げる、または火をつけて爆発させる
- 強烈な音と閃光、破片によって敵にダメージを与える
という、手投げ型・あるいは投石機などで投射する爆弾兵器のようなものでした。
現代で言うと、「グレネード(手榴弾)」や「火薬式爆竹」に近い仕組みです。
元寇と「てつはう」|火薬戦争の始まり
「てつはう」が日本に初めて登場したのは、1274年の**文永の役(ぶんえいのえき)**です。
- 元・高麗連合軍が対馬・壱岐を経て博多に上陸
- 鎌倉武士たちは、一騎討ちや弓矢を主力とする戦い方
- 元軍は集団戦法とともに、てつはうによる“音と火の攻撃”を用いた
記録によれば、**「鉄の玉が破裂して火と煙を発し、音が雷のごとく響いた」**という記述があります(『八幡愚童訓』『蒙古襲来絵詞』など)。
これは当時の日本にとって、**初めての“火薬を使った戦争”**であり、武士たちに大きな衝撃を与えました。
「蒙古襲来絵詞」に描かれたてつはう
てつはうの姿がはっきりと描かれているのが、鎌倉時代に描かれた歴史資料**『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』**です。
そこでは、
- 円形の黒い玉が爆発する様子
- それを驚き逃げる武士たちの姿
- 炎や煙を伴う描写
があり、視覚的に「てつはう」の恐怖が伝えられています。
これは世界的にも貴重な**“火薬兵器の初使用を描いた絵画史料”**として、注目されています。
なぜ元軍はてつはうを使えたのか?
火薬(硝石・硫黄・木炭)を兵器として活用する技術は、中国の宋(そう)や金(きん)で発展しており、
モンゴル帝国(元)はこれらの技術を取り込んでいました。
- 元は工学・火薬技術を取り入れた世界帝国
- てつはうや火槍(ひそう)などの武器を標準装備
- 朝鮮(高麗)経由で製造・運用され、日本にも持ち込まれた
つまり、元軍は火薬兵器の先進国であり、当時の日本はまったく未知の武器に直面したのです。
てつはうのその後|日本に与えた影響
元寇後、日本でも火薬兵器への関心が高まりますが、実際に火薬武器が広がるのは、戦国時代の鉄砲伝来(1543年)以降です。
しかし、てつはうは確実にこうした流れの“はじまり”でした。
- 「火薬を使う戦い」という概念が日本に伝わった
- 防衛のための城の構造・戦術に影響を与えた
- 鎌倉武士の戦い方(個人戦)から、集団戦への意識が芽生える契機に
つまり、てつはうは日本の戦争観そのものを揺さぶった最初の火薬兵器だったのです。
まとめ|てつはうとは、戦国時代の幕を開く火の玉だった
「てつはう」は、単なる爆弾ではありませんでした。
それは――
音と火で敵を威圧する“衝撃兵器”であり、日本における近代戦の夜明けを告げる存在でもありました。
初めて火の音を聞いた武士たちは、何を思ったのでしょう。
「てつはう」の登場は、やがて火縄銃、そして戦国時代の“火力戦”へとつながる一歩だったのです。
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