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【二・二六事件とは】昭和初期の日本を揺るがしたクーデター未遂事件

目次

はじめに:なぜ昭和初期にクーデターが?

昭和初期、日本は深刻な経済不況や政党政治への不信感、そして軍部の台頭に直面していました。そんな中、1936年(昭和11年)に陸軍の一部青年将校が決起し、政府要人を襲撃した事件が起こります。それが「二・二六事件」です。この事件は、戦前日本の政治体制に大きな影響を与え、軍国主義への道を加速させる分岐点となりました。

1. 二・二六事件とは?

二・二六事件(に・にろくじけん)とは、1936年2月26日に起きた陸軍の一部青年将校によるクーデター未遂事件です。およそ1400名の兵が東京中心部を占拠し、首相官邸や警視庁などを襲撃。**内大臣・斎藤実(さいとう まこと)大蔵大臣・高橋是清(たかはし これきよ)**らが殺害されました。

2. 背景:昭和初期の社会と軍部の不満

  • **昭和恐慌(1929〜1931年)**で農村部は困窮し、自殺者も急増


  • 政党政治は汚職や癒着で国民の信頼を失っていた


  • 軍部内では「昭和維新」や「天皇親政」を掲げる皇道派と、統制を重視する統制派が対立


青年将校たちは、腐敗した政界や財界を「昭和維新」によって粛清すべきと考えていたのです。

どのようにして軍部が政党を排していったのか

このときの内閣はワシントン海軍軍縮条約の締結(1922年)に見られるように対外的には協調路線を歩んでいました。特に1924年から1927年頃まで幣原喜重郎外相による幣原外交(軍部からは軟弱外交と批判されていた)がおこなわれ、欧米列強との協調による国際平和を重視していました。対中国では内政不干渉を原則とし、軍事ではなく経済・文化的影響力の拡大を目指していました。

しかし1929年には世界恐慌が起こり、日本も金輸出解禁によるデフレと相まって輸出激減・企業倒産の連鎖が起こりました。農作物の価格は暴落し、失業者が帰農したこともあって農村部で女子の身売りが続出するなど日本経済は大打撃を受けてしまいました。

そのようななか、政党は財閥から政治献金を受け取り、その見返りとして公共工事や金融政策で財閥に有利な政策を展開するなど、軍部や民衆から癒着と批判される対応を続けていました。このような国内の不況は国民や軍部の不満を招き、次第に軍部は強硬路線を取るようになっていきます。

1931年には陸軍青年将校によるクーデター未遂事件(三月事件・十月事件)が起こり、翌1932年には井上日召率いる右翼の血盟団員が井上準之助前蔵相・団琢磨三井合名会社理事長を暗殺(血盟団事件)。さらに同年5月15日には海軍青年将校の一団が首相官邸で犬養毅首相を射殺する事件(五・一五事件)があいつぎました。

五・一五事件のあと、元老西園寺公望は海軍大将斎藤実(さいとうまこと)を後継首相に推薦しました。これにより戦前の政党内閣の時代は終わり、第二次世界大戦終結まで復活することはありませんでした。

こうして徐々に軍部(特に陸軍)が政治的発言力を増していったのです。

そのようななか起こったのが二・二六事件です。

二・二六事件は北一輝の『日本改造法案大綱(にほんかいぞうほうあんたいこう)』を理論的支柱としていました。ここに何が書かれていたのかというと、まずは腐敗した政党・財閥・官僚こそが諸悪の根源であると断じ、これらを排して天皇の名のもとに国民本位の国家を築くべきだ!としました。そしてその思想を実現するためには革命的手段(暴力も辞さない)による既存の権力構造破壊が必要であると説いたのです。ある種社会主義っぽい考え方で国家をまっさらにしようとしたのです。

この考え方は、当時政治と癒着していた財閥に対して不満のあった人たちに受け入れられ、また暴力による既存権力構造の破壊という点では軍部と非常に親和性がありました。陸軍の中でも皇道派(天皇親政の実現を目指していた)の人たちは北一輝の影響を大きく受けており、あるときついに行動を起こしました。その行動こそが二・二六事件なのです。

3. 事件の経過と主な登場人物

  • 1936年2月26日未明、陸軍第一師団の兵士が首都・東京で決起


  • 首相・岡田啓介(おかだ けいすけ)は暗殺されかけたが、身代わりの義弟が犠牲に


  • 軍部上層部は動揺するも最終的には鎮圧へと動く


  • 2月29日、天皇の強い意志により反乱軍に鎮圧命令が出され、事件は終結


主な青年将校:

  • 磯部浅一(いそべ あさいち)


  • 相沢三郎(あいざわ さぶろう)


  • 香田清貞(こうだ きよさだ)


4. 結末とその後の影響

  • 決起した将校たちは軍法会議にかけられ、死刑または禁固刑


  • 軍内部では皇道派が粛清され、統制派が主導権を握る


  • 結果として、軍の政治介入がより強化され、戦争への道を加速


この事件は、政治を「正す」はずだった青年将校の思惑とは裏腹に、軍国主義の強化を招いてしまいました。

5. なぜ事件は未遂に終わったのか?

  • 国民の大多数は事件に共感せず


  • 天皇・昭和天皇が激怒し、軍上層部に即時鎮圧を命じた


  • 陸軍内でも支持を得られず、孤立


青年将校たちは「天皇のために行動した」と考えていたが、天皇自身がこれを許さなかったことで、道は閉ざされたのです。

6. 現代に残る教訓とは?

  • 政治不信と経済格差は極端な思想を生みやすい


  • 理想だけでは現実は動かせない


  • 国家における**文民統制(シビリアンコントロール)**の重要性


7. 関連記事・内部リンク集

👉 昭和恐慌とは?日本経済が崩れたきっかけ
👉 五・一五事件とは?海軍青年将校のクーデター未遂
👉 金本位制復帰と円高の関係
👉 戦前日本の政党政治とは?

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