はじめに:南京で何が起きたのか?
1937年、日本と中国の全面戦争――日中戦争が始まった直後、
中国の首都・南京(なんきん)が日本軍に占領されました。
その際、多くの市民や捕虜が殺害されたとされる事件が「南京事件(南京大虐殺)」です。
今なお議論が続くこの事件について、歴史的背景・事件の経緯・被害の実態・評価の違いをわかりやすく解説します。
1. 南京事件とは?基本情報
発生時期:1937年12月〜1938年1月頃
場所:中華民国の首都・南京(現在の南京市)
加害側:日本陸軍(第六師団など)
被害者:主に民間人と中国軍の捕虜
日本軍が南京を占領した直後に、多数の中国人が殺害され、女性への暴行や略奪などが発生したとされています。
2. なぜ南京で事件が起きたのか?背景を探る
🔹 日中戦争の激化
1937年7月の盧溝橋事件から始まった日中戦争は、急速に拡大し、日本軍は上海を経て南京へ進軍。
🔹 南京は当時の中国の首都
政治・軍事の中心地であり、日本軍にとって象徴的な攻略目標だった
南京陥落は日本の「戦果」として大々的に宣伝された
🔹 緊張と混乱の中での占領
市民や敗残兵が入り乱れた状態での市街地占領
指揮系統が不明瞭な中、兵士の暴走や統制の欠如が生じた
3. 南京攻略戦と事件の経過
1937年12月13日:日本軍が南京を制圧(南京陥落)
その直後から――
捕虜の大量処刑
民間人の殺害
女性への集団強姦(ごうかん)
住宅の略奪・放火
などの行為が、多数報告されています。これらが「南京事件」と呼ばれるものです。
4. 被害の規模:何人が犠牲になったのか?
被害者数には諸説あり、学術的にも評価が分かれています。
出典 | 推定犠牲者数 |
---|---|
中華人民共和国政府 | 約30万人以上 |
東京裁判(極東国際軍事裁判) | 約20万人前後 |
一部の日本研究者 | 数万人規模(2万〜4万人)との見解もあり |
※ 被害者には、投降した捕虜・民間人・女性・子どもも含まれます。
5. 国際社会と報道の反応
当時、南京には欧米諸国の外交官・ジャーナリスト・宣教師らが滞在しており、以下のような反応が記録されています:
アメリカ人宣教師 ジョン・ラーベらが「南京安全区」を設置し、住民の保護に努めた
外国人による日記・写真・報告書が国際的に発信され、日本批判が強まった
一方、日本では報道統制があり、事件はほとんど伝えられなかった
6. なぜ評価が分かれるのか?日中の主張の違い
🔹 中国の主張
事件の存在と大量虐殺は「歴史的事実」
日本は謝罪と反省を続けるべきと主張
🔹 日本の一部主張
犠牲者数は誇張されている
軍紀の乱れはあったが「虐殺」と呼ぶのは不適切とする意見もある
当時の状況(戦闘混乱・便衣兵処刑など)を考慮すべきとする声
このように、資料の扱い・定義・政治的立場によって評価が大きく分かれるのが南京事件の特徴です。
7. 南京事件をどう受け止めるべきか?
南京事件は、戦争がもたらす悲劇の象徴とも言える出来事です。
史料や証言をもとに冷静かつ多角的に学ぶことが求められます。
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