はじめに:なぜ昭和のはじまりに経済が崩壊したのか?
昭和時代が始まってすぐの1930年代初頭、日本は深刻な経済危機に見舞われました。
この出来事は「昭和恐慌(しょうわきょうこう)」と呼ばれ、農村から都市まで、全国に大きな打撃を与えました。
なぜ日本経済は崩れたのか? その背景と原因、そして社会への影響をわかりやすく解説します。
1. 昭和恐慌とは何か?
昭和恐慌とは、1930年から始まった日本の深刻な経済危機を指します。
株価の暴落、物価の急落、企業倒産、農村の貧困化など、あらゆる階層に打撃を与えました。
日本国内での危機だけでなく、国際的な経済情勢の悪化が直接的な原因となっています。
2. 昭和恐慌が起きた背景:世界恐慌の波
昭和恐慌の大きなきっかけとなったのが、**1929年にアメリカで起きた「世界恐慌」**です。
ニューヨーク株式市場の大暴落により、世界中が不況に
輸出依存の強かった日本も大きく影響を受ける
特に生糸(きいと)や絹織物などの輸出産業が壊滅的打撃を受けた
つまり、日本は外需(輸出)に依存した経済構造のもとで、世界の経済変動に非常に脆弱だったのです。
3. 金輸出解禁が招いた円高とデフレ
当時の浜口雄幸(はまぐち おさち)内閣は、金本位制への復帰を目指して1930年に「金輸出解禁」を実施しました。
しかしこれが裏目に出ます。
金本位制に復帰 → 日本円が急激に「円高」へ
輸出がさらに不利に → 商品が売れず、生産縮小
結果としてデフレ(物価下落)と倒産の連鎖が発生
さらに、政府は緊縮財政を続け、景気回復の手立ても遅れたため、国民生活はますます苦しくなりました。
🔶 そもそも「金本位制」とは?
**金本位制(きんほんいせい)**とは、
「お金(通貨)の価値を金(きん)と結びつけて管理する制度」です。
1円=○グラムの金
金があれば、紙幣はいつでも金に交換できる
という仕組みで、通貨の価値が金の量によって裏付けられるという、いわば「通貨の信用の基礎」が金になります。
🔷 昭和初期、日本は「金輸出解禁」で金本位制に戻った
1929年に世界恐慌が起きたあと、日本の浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣は、「国際的信用を取り戻すため」に、
1930年に金輸出解禁=金本位制への復帰を決めました。
つまり、それまで止めていた「金との交換」を再開し、紙幣の発行量を金保有量に合わせるようにしたのです。
💰 なぜ円高になったのか?(わかりやすく3ステップで)
✅ 1. 「金本位制」は通貨の発行量を制限する
金の保有量に合わせて通貨(円)を出すので、紙幣が少なくなる=お金が貴重になる
市場に出回る「円」が減る → 価値が上がる → 円高
✅ 2. 海外から見ると「円の価値が高くなる」
例えば、金本位制を取っていないアメリカのドルよりも、金と結びついた日本円の方が信用があるように見える
「1ドルで今まで1.5円分のものが買えたけど、1.2円しか買えなくなった」=円高
✅ 3. 輸出産業にとっては大打撃
円の価値が上がると、日本の商品が海外から見ると高くなる
輸出が減る → 工場が止まる → 失業者が増える → 昭和恐慌へ…
🔻 円高の例え(イメージ)
たとえば、あなたがアメリカ人で、1ドル=100円のときに日本のカメラが「1万円」だったとします。
すると、「100ドル」で買える計算です。
でも円高になって1ドル=70円になると、同じカメラが約143ドルに。
🤔「高くなったからもう買わない」 → 輸出が減る
✅ なぜ金本位制で円高になったのか?
金本位制に戻すと通貨の発行量が制限され、お金の価値が上がる=円高になる。
すると輸出が不利になり、景気が悪化してしまった。
日本は「信用回復」のために金本位制に戻しましたが、
世界恐慌の影響を受けていたこの時期に「円高→不況→昭和恐慌」となり、結果的に逆効果だったのです。
4. 農村への打撃:娘の身売りと餓死者
最も深刻な被害を受けたのが農村です。
米や農産物の価格が暴落 → 現金収入が激減
税金や生活費が払えず、娘を売らざるを得ない農家が続出
北海道や東北では、飢えによる餓死者まで出ました
この時代の農村の悲惨な状況は、社会全体に暗い影を落とし、国民の不満が高まりました。
5. 都市部の不況と失業者の急増
都市でも工場の閉鎖や賃金カットが相次ぎ、失業者が急増しました。
工業労働者は賃金の半減・解雇が相次ぐ
銀行の取り付け騒ぎや企業の倒産が頻発
スラム化した地域も増え、治安も悪化
特に若者の失業率が高く、社会不安が軍部の台頭を後押しする結果にもなっていきます。
6. 昭和恐慌が日本社会に残したもの
昭和恐慌は、日本経済だけでなく、社会の構造や政治の方向性にも大きな影響を与えました。
経済政策の失敗 → 政党政治への不信感
農民・都市労働者の不満 → 軍部や国家主義への支持増加
貧困と格差の拡大 → 「国民を救う」強い指導者像への期待
この結果、1930年代の日本は、民主主義から軍国主義へと傾いていく重要な転機を迎えることになります。
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