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【昭和時代とは?】大正デモクラシーから戦争の時代へ|日本の激動期をわかりやすく解説

目次

はじめに:昭和ってどんな時代?

「昭和(しょうわ)時代」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?戦争、復興、高度経済成長…。そのイメージは人によってさまざまですが、昭和は日本の近代史のなかでも特に激動の時代でした。この記事では、大正デモクラシーの終焉から昭和初期の混乱、そして戦争へと至る流れを、わかりやすく紹介します。

1. 昭和時代はいつからいつまで?

昭和時代は1926年(大正15年/昭和元年)12月25日、大正天皇が崩御し、昭和天皇が即位したことから始まります。そして、1989年(昭和64年)1月7日まで、実に62年間も続いた長い時代でした。この記事では、特に**昭和前期(1926〜1945年)**に焦点を当てます。

2. 大正時代の終わりと昭和の始まり

大正時代(1912〜1926年)は、「大正デモクラシー」と呼ばれるように、政党政治が進み、民衆の政治参加が拡大した時代でした。しかしその一方で、大正末期には以下のような兆しが見え始めます。

  • 政党間の対立激化

  • 関東大震災(1923年)による社会不安

  • 政治腐敗と暗殺事件の増加(※例:虎ノ門事件)


これらの不安定要素を引き継いで始まったのが昭和時代です。昭和の初め、日本はすでに経済・政治ともに不安定な状態にありました。

3. 昭和初期の社会と政治:なぜ軍部が台頭したのか?

昭和に入ると、政党政治は徐々に力を失い、代わって軍部が台頭していきます。その背景には次のような要因があります。

  • 世界恐慌(1929年)の影響で日本経済が大打撃

  • 政党政治への不信感(汚職や政変の頻発)

  • 国民の生活苦による不満の高まり

これらを背景に、「軍部の強硬な行動こそが日本を救う」という風潮が広まり、1930年代には軍人によるクーデター未遂や暗殺事件が相次ぎます(例:五・一五事件、二・二六事件)。

4. 昭和恐慌と日本の経済危機

1930年代初頭、日本は**「昭和恐慌」**と呼ばれる深刻な不況に見舞われました。

  • 輸出産業が大打撃(世界同時不況のあおり)

  • 農村では娘の身売りが横行

  • 企業倒産や失業が急増

こうした経済的苦境のなか、軍部や国家主義的な思想が支持を集め、国内の自由主義や民主主義は徐々に抑圧されていきました

5. 満州事変と国際社会との対立

1931年、日本はついに中国東北部(満州)での「満州事変」によって実質的な侵略を開始します。

  • 1931年:柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)をきっかけに関東軍が満州を制圧

  • 1932年:傀儡国家「満州国」を建国

  • 国際連盟から批判され、1933年に脱退

この一連の動きは、日本が国際社会から孤立していく始まりでもあり、昭和前期の転換点となります。

✅ 1931年「満州事変」:なぜ日本は満州を侵略したのか?

1. 日本の経済不安(昭和恐慌)の影響
  • 1929年の世界恐慌の影響で、日本の輸出が激減し、**深刻な不況(昭和恐慌)**に陥りました。

  • 特に農村では生活が困窮し、「娘の身売り」が社会問題になるほど。

  • 満州は資源(石炭・鉄鉱石)や広大な土地を持ち、日本にとっては「経済的な救いの地」と見なされていました。


2. 満州の権益確保(南満州鉄道など)
  • 日本はすでに**日露戦争(1904–05年)**の勝利で、**南満州鉄道(満鉄)**や旅順・大連などの租借地を獲得していました。

  • 中国国内が軍閥間で分裂していたため、日本は「秩序維持」を名目に軍事介入しやすい状態にありました。

  • 満州の利権を守るために、「中国側から攻撃された」とする**柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)**を自作自演(※関東軍の謀略)して侵略の口実にしました。


3. 軍部の独走と政治の弱体化
  • 当時の日本政府は政党政治が腐敗し、内閣もたびたび倒れて不安定でした。

  • 一方で**関東軍(かんとうぐん)**は現地で独断専行しており、中央の命令を無視して満州を占領しました。

  • 政府は関東軍を処罰できず、逆に軍部の勢いが強まる結果となりました。


4. 満州国建国と国際的孤立
  • 1932年には傀儡国家「満州国(まんしゅうこく)」を建て、元清朝皇帝・**溥儀(ふぎ)**を執政に。

  • 国際連盟はこれを侵略とみなし、日本に撤退を勧告。

  • しかし日本は反発し、1933年に国際連盟を脱退し、国際的に孤立することとなりました。


🔍 なぜ日本は満州を侵略したのか?

「経済の苦境を打開し、資源や権益を守るために、軍部が独断で行動した」
というのが、満州事変の本質です。

そしてこの事件は、民主主義から軍国主義へと向かうターニングポイントとなり、日本は徐々に国際社会から孤立し、戦争へと突き進んでいくことになります。

6. 昭和時代はどう変わっていったか?(戦前→戦中)

昭和の前期後半は、以下のように戦争に向かって突き進んでいきます。

出来事
1937年日中戦争が勃発(盧溝橋事件)
1940年日独伊三国同盟
1941年真珠湾攻撃→太平洋戦争開戦
1945年広島・長崎への原爆投下、敗戦

この間、日本は戦時体制を強化し、国民生活も厳しく統制されていきます(配給制、学徒出陣、統制報道など)。そして1945年の敗戦によって、昭和前期は終焉を迎えるのです。

7. まとめ:昭和を学ぶことの大切さ

昭和時代は、「近代日本の試練」とも言える激動の時代でした。民主主義の芽が出た大正から一転、軍部主導の戦時体制へと傾いた昭和初期。その背景には、経済不安・国際関係・政治腐敗など、複雑に絡み合った要因があります。

昭和の歴史を知ることは、現代の平和や民主主義の意味を見つめ直すヒントにもなります。次回は、戦後の復興と高度経済成長を迎える昭和後期についても取り上げていきましょう。

8. 内部リンク・参考記事

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