
はじめに|鉄を溶かす“煙突”が語る明治の物語
静岡県伊豆の国市にある【韮山反射炉(にらやま はんしゃろ)】をご存じでしょうか?
私は歴史好きとしてずっと気になっていたこの場所を、ついに今日訪れることができました。煙突の存在感、積み上げられた赤レンガ、そして近代日本の始まりを告げる静かな空気──今回は、現地で撮った写真とともに、韮山反射炉の魅力とその歴史的背景をわかりやすくお届けします。
1. 【現地レポート】韮山反射炉に行ってみた!
伊豆箱根鉄道の「伊豆長岡駅」から徒歩で約20分でたどり着いたのが韮山反射炉。敷地内はコンパクトながらも、整備された遊歩道や芝生広場が広がっており、のんびり散策するのにぴったりです。
現地では大きな煙突のような建造物が目を引き、周囲には説明パネルや資料館、売店、さらには「反射炉ビール」のカフェまであり、観光としても充実。
観光客はほどよく、平日ならゆったり見学できます。
伊豆長岡駅から韮山反射炉までの行き方

全体マップはこんな感じ。
初めてだと少し迷うかもしれません。

伊豆長岡駅

観光案内所の横の道を抜ける。

突き当りまで進む

案内があります。

線路沿いを突き当りまで歩きます。

突き当ったら線路を渡ります。

突き当ったら右に曲がります。
ミニストップの角を左に曲がってしばらくまっすぐ歩きます。

最後はおおきな看板がでてくるので右に曲がってしばらく歩くと韮山反射炉が見えてきます。
2. 韮山反射炉とは?簡単にわかる歴史と仕組み
「反射炉」とは、金属を高温で溶かすための溶解炉の一種で、火の熱を“反射”させて効率よく加熱する仕組みを持ちます。韮山反射炉は1857年(安政4年)に完成し、実際に稼働していた“唯一現存する反射炉”です。
建設を指導したのは、幕末の蘭学者・技術者として知られる江川英龍(えがわ ひでたつ)。西洋列強の脅威が迫る中、江戸幕府は大砲鋳造による軍備増強を急ぎ、ここ伊豆の韮山に反射炉を築きました。
3. なぜ世界遺産に?韮山反射炉の価値
2015年、韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産」の一部として世界文化遺産に登録されました。その理由は、日本が西洋の技術を受け入れ、自国で近代的な鉄製兵器を製造しようとした努力がここに残っているからです。
同じ構成遺産には、釜石製鉄所跡(岩手)、萩反射炉(山口)、鹿児島の集成館跡などがありますが、唯一、実際に稼働していた証拠が残るのが韮山反射炉。日本の近代化の物語は、この静かな伊豆の地から始まったのです。
この韮山反射炉ですが、具体的に何を作っていたかというと西洋式の大砲を作っていました。まだペリーが来日する少し前、日本はいろんなところで西洋の船とバチバチやっていました。
1808年にナポレオン戦争中にイギリス軍官「フェートン号」がオランダ船を装って長崎に侵入し、日本側に砲撃をちらつかせて水と食料を要求したフェートン号事件や、1837年にアメリカ商船モリソン号が、日本人漂流民を送り届ける名目で浦賀・鹿児島に接近し、日本が砲撃したモリソン号事件などがその例です。
こういった事件や世相を見ながら、伊豆・駿河・相模・甲斐・武蔵にある幕府直轄地の支配を担当していた江川英龍は海防の重要性を認識し始めました。
来る外国船を打ち払うためには当然大砲が必要になります。英龍は幕府に何度も反射炉を作ろう!と提言しますが、なかなか幕府はうんといってくれません。
そんななかついにやってきたのがペリー提督です。浦賀に黒船を4隻従えて、日本に開国を迫ったのです。これに焦った江戸幕府は、「これは急いで大砲をつくらねばならん」ということで、兼ねてから海防政策の重要性を説いてきた江川英龍にお台場の整備と反射炉築造を命じます。当初反射炉は下田のあたりにありましたが、下田に入港していたペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入する事件が起きたため、いまの韮山に反射炉を移すことになったそうです。
4. 【写真で見る】反射炉の仕組みと建築の美しさ
韮山反射炉は、二基の反射炉(溶鉱炉)を並べた左右対称の構造で、両脇にそびえる高さ約15mの煙突が特徴的。よく見ると、赤レンガが「イギリス積み」という方法で美しく並んでいます。
反射炉の内部構造(炉床、煙道、煙突)は当時の技術力の高さを示すものであり、構造図を見ながら建築的視点でも楽しめます。

イギリス積みされた美しいレンガ壁
5. 韮山反射炉の周辺スポットも見逃せない!
せっかく韮山まで来たなら、周辺の歴史スポットも訪れる価値ありです。
江川邸(江川家住宅)|江川英龍の旧邸。武家屋敷と蘭学資料が残る。
韮山城跡|戦国時代の城跡で、北条氏の拠点でもあった場所。
伊豆長岡温泉|疲れた足を癒せる歴史ある温泉街。
反射炉ビールのカフェ|地ビールと名物グルメを味わえる。
6. まとめ|反射炉の前で感じた「日本の近代の始まり」
煙突の前に立ったとき、私は「ここから日本の近代が始まったんだ」と思いました。大砲を鋳造する技術は、西洋の脅威と向き合うための防衛策であり、同時に新しい時代の象徴でもありました。
レンガの一つひとつに込められた職人の技と、国家の危機に立ち向かった人々の想い。韮山反射炉は、ただの産業遺産ではなく、**“日本が自らの手で未来を切り開こうとした証”**です。
歴史ファンだけでなく、伊豆観光を楽しむすべての人におすすめしたいスポットです。次の週末、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?
🔗 関連リンク(内部リンク例)
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👉 世界遺産「明治日本の産業革命遺産」とは?
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