「安土桃山時代って、どんな時代だったの?」
学校で習ったような気はするけれど、戦国時代との違いや江戸時代とのつながりがよくわからない…そんな方のために、この記事では安土桃山時代の特徴や背景をわかりやすく解説します。
◆ 安土桃山時代とは?いつからいつまで?
**安土桃山時代(あづちももやまじだい)**は、一般的に
1573年(室町幕府滅亡)から
1603年(江戸幕府の成立)まで
の約30年間を指します。
名前の由来は、織田信長の安土城(滋賀県)と、豊臣秀吉の伏見桃山城(京都府)からきています。まさに信長と秀吉の時代です。
◆ 室町時代から安土桃山時代へ:どう移り変わった?
▶ 応仁の乱から始まる戦国時代
室町時代後期は、1467年の応仁の乱をきっかけに全国で大名たちが争う「戦国時代」に突入します。将軍の権威は失われ、各地で独立した勢力が誕生。
その混乱を終わらせようと立ち上がったのが、織田信長でした。
▶️ 応仁の乱について詳しく知りたい方は、
【応仁の乱 簡単に解説】なぜ起きた?誰が関わった?戦国時代を生んだ大乱の真実
でわかりやすくまとめています。
▶ 織田信長が室町幕府を終わらせる(1573年)
信長は、当時の将軍・足利義昭を追放し、事実上、室町幕府を終わらせます。
これが安土桃山時代の始まりとされています。
▶️ 織田信長と足利義昭の関係については
織田信長はなぜ足利将軍家に対して力を持ったのか?戦だけではない3つの理由【わかりやすく解説】
信長は「天下布武(てんかふぶ)」を掲げ、戦国の秩序を一新しようとしました。楽市楽座で経済を活性化し、延暦寺などの宗教勢力も排除。まさに常識を打ち破る改革者でした。
しかし、1582年、本能寺の変で家臣・明智光秀に討たれ、夢半ばで倒れます。
▶ 豊臣秀吉が天下統一を成し遂げる(1590年)
信長の死後、後を継いで頭角を現したのが、**羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)**です。
わずか一代で天下人となった秀吉は、1585年に関白、1590年に全国統一を達成しました。
秀吉は:
武力による統一
太閤検地で土地を調査し、税制を安定
刀狩で武士と農民を分け、身分制度の基盤を作る
海外進出(朝鮮出兵)などを実施
といった施策で、戦乱を終わらせた上で支配体制の整備を進めました。
◆ 安土桃山時代の文化
この時代は、武士や商人の力が高まる中で、**豪華で華やかな文化(桃山文化)**が栄えました。
◆ 特徴的な文化の例
金箔・豪華絢爛な障壁画(狩野永徳など)
千利休による茶道の完成(侘び・寂び)
南蛮文化の流入(キリスト教、鉄砲、洋服、ガラス製品)
多様な文化が混じり合い、日本の伝統と西洋文化が融合した特別な時代でもありました。
◆ 安土桃山時代から江戸時代へ:どう変わった?
▶ 秀吉の死と徳川家康の台頭
1598年、豊臣秀吉が死去。秀吉の子・秀頼はまだ幼く、政権の中心は五大老(筆頭は徳川家康)に移ります。
▶ 関ヶ原の戦い(1600年)
家康は石田三成らと対立し、1600年の関ヶ原の戦いで勝利。実質的に日本の支配者となります。
▶ 江戸幕府の成立(1603年)
1603年、徳川家康は征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開きます。
これにより、安土桃山時代は終わり、江戸時代(徳川の時代)が始まるのです。
◆ 安土桃山時代はどんな時代だったのか?まとめ
特徴 | 内容 |
---|---|
始まり | 1573年、信長が足利義昭を追放し幕府滅亡 |
中心人物 | 織田信長 → 豊臣秀吉 |
政策 | 楽市楽座、太閤検地、刀狩など |
文化 | 金箔、茶道、南蛮文化の到来 |
終わり | 1603年、徳川家康が江戸幕府を開く |
◆ まとめ|安土桃山時代は、乱世を終わらせた“転換の時代”
安土桃山時代は、「戦国の乱れた世」を終わらせ、「近世国家」へと歩み出す重要な時代でした。
織田信長の改革、豊臣秀吉の統一と政策、そして徳川家康による体制の確立。
この30年の激動こそ、**日本の政治・文化・社会のかたちを根本から変える「近代への橋渡し」**だったのです。
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