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【御成敗式目 わかりやすく解説】なぜ作られた?どんな内容?鎌倉時代の武家法の原点

「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」って歴史の授業で聞いたことはあるけど、実際どんな内容だったの?と思っている方も多いのではないでしょうか。

この記事では、御成敗式目とは何かをわかりやすく解説し、制定された時代背景や、主要な項目についても丁寧に紹介します。


目次

◆ 御成敗式目とは?【簡単に説明】

御成敗式目とは、鎌倉幕府が1232年に制定した日本初の武家による成文法です。正式には「貞永式目(じょうえいしきもく)」とも呼ばれます。

制定したのは第3代執権・**北条泰時(やすとき)**で、全部で51条からなり、武士の行動基準や裁判のルールを明文化したものです。

▶️ 御成敗式目が作られた鎌倉時代の背景については、こちらをご覧ください


◆ なぜ御成敗式目が必要だったのか?【時代背景】

鎌倉幕府が成立した当初、裁判や政治のルールは慣習や前例に頼って行われていました。これは、頼朝時代には機能していたものの、幕府が拡大するにつれ、武士の間の土地争いや相続問題が頻発し、統一的な判断が難しくなってきました。

そこで北条泰時は、「みんなが納得できるルール」を作ることで、

  • 武士社会の秩序を保つ

  • 公平な裁判を行う

  • 幕府の権威を高める

ことを目的に、成文法(文字で書かれた法)である御成敗式目を制定したのです。


◆ 御成敗式目の主な内容【代表的な項目】

御成敗式目の条文は多岐にわたりますが、特に重要なポイントを以下にまとめます。

① 所領(しょりょう)の相続・分割に関する規定

  • 武士の最大の関心事は「土地」でした。

  • 御成敗式目では、土地は原則として子孫に相続されるが、勝手に売却してはいけないと定められました。

  • また、女性にも一定の相続権が認められた点も特徴です。


② 裁判における「証拠」や「証人」の重視

  • 訴訟が起こった際には、書類や証人の証言が重視されると規定されました。

  • 「自白や感情よりも、事実と証拠で判断する」という姿勢は、近代的な法の原則にも通じます。

③ 仏教・神社の保護

  • 僧侶の不正行為を禁じつつ、神社仏閣や僧侶の権利を保護する条文もあります。

  • 幕府が宗教施設を政治的に利用しつつ、統制しようとしていたことがうかがえます。


④ 不正行為の禁止

  • たとえば「嘘の訴え」「偽造文書」「賄賂による判決操作」などを厳しく禁じました。

  • 公正な裁判と統治を実現するための意識が見えます。


◆ 御成敗式目の意義と影響

御成敗式目は、それまでの慣習や家ごとのルールに代わって、全国共通の武士社会の規範を初めて提示した画期的な法典でした。

この法は、江戸時代に至るまで約400年にわたって法の基準として参照され続けたという点で、日本の法律史における極めて重要な存在です。

また、「情ではなく、道理と証拠で裁く」という考え方は、当時としては非常に先進的で、北条泰時の政治的手腕をうかがわせます。


◆ なぜ今、御成敗式目を学ぶ意味があるのか?

御成敗式目は、ただの古文書ではありません。
そこには、

  • 公平な社会をどう作るか

  • 権力者がどのように秩序を保つか

  • 人間の信頼関係と法の役割

など、現代にも通じる問題意識が込められています。

法による支配のはじまりが、武士という現実的な統治者によって築かれたことは、歴史を学ぶ上でとても示唆に富んでいます。


◆ まとめ|御成敗式目をわかりやすく振り返る

項目 内容
制定年 1232年(貞永元年)
制定者 北条泰時(鎌倉幕府第3代執権)
形式 全51条の成文法
主な内容 土地相続、裁判手続き、宗教保護など
意義 武士社会の秩序を確立した初の全国的な法典

御成敗式目を知ることは、武士がどのように「秩序」を築こうとしたかを知ることでもあります。鎌倉時代の武家社会がどのように動いていたのか、その深層を探る手がかりとして、ぜひこの法典に注目してみてください。

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