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【わかりやすく解説】鎌倉時代の執権と室町時代の管領の違いとは?

日本の武家政権には、将軍を補佐し、政治を支える重要な役職がいくつか存在しました。その代表が、**鎌倉時代の「執権(しっけん)」**と、**室町時代の「管領(かんれい)」**です。どちらも幕府の中心で活躍した役職ですが、実はその性格や役割、歴史的背景は大きく異なっています。

この記事では、執権と管領の違いをわかりやすく解説し、それぞれの時代における政治体制の特色にも触れていきます。


目次

鎌倉時代の執権とは?

鎌倉幕府は、1185年に源頼朝が開いた日本初の武家政権です。しかし、頼朝の死後、将軍の力は徐々に弱まり、代わって実権を握ったのが北条氏でした。北条氏は、将軍を補佐する役職として「執権」を創設し、実際には将軍の上に立って政治を動かすようになります。

特に3代執権・北条泰時の時代には、「御成敗式目(貞永式目)」が制定され、執権政治が確立しました。執権は単なる補佐役ではなく、事実上の最高権力者として幕府を主導する存在だったのです。つまり、将軍は名目上の存在となり、執権が実際の支配者だったといえます。

  • ▶️ 御成敗式目について詳しく知りたい方は【こちらの記事】をご覧ください。



室町時代の管領とは?

室町幕府は1336年、足利尊氏によって開かれました。幕府の本拠地は京都・室町にあり、将軍は政治・軍事の最高権力者として君臨しました。その将軍を補佐するために設けられたのが「管領」です。

管領は、将軍の政務を代行する立場として、人事・裁判・命令の伝達などを担当する重要な役職でした。ただし、鎌倉時代の執権のように将軍の上に立つわけではなく、あくまで将軍の補佐役にとどまるのが特徴です。

管領には、細川氏・斯波氏・畠山氏といった「三管領家」と呼ばれる有力守護大名が交代で就任しました。これは、強大な大名たちを幕府の中枢に取り込むことで、将軍権力を支える工夫でもありました。


執権と管領のちがいを一言でいうと?

両者の違いは、一言でまとめると次のようになります:

執権は「将軍の上に立って実権を握った」支配者。
管領は「将軍を補佐して政務を遂行した」補佐官。

執権は北条氏のように権力を一族で独占し、将軍を傀儡とするほどの強さを持ちました。一方、管領はあくまで将軍の命を補佐・代行する存在であり、室町幕府では将軍の権威が基本的に上位に保たれていました。


なぜこの違いが生まれたのか?

この違いの背景には、それぞれの幕府の成り立ちと時代背景があります。

  • 鎌倉幕府では、将軍家の断絶や幼少の将軍が続いたため、北条氏が実権を握らざるを得なかった。

  • 室町幕府では、将軍が軍事力と貴族的権威を兼ね備え、より中央集権的な支配を目指した。

しかし、室町時代後期になると、管領家同士の対立や応仁の乱が起こり、幕府の統制力は次第に失われていきます。


まとめ

項目 執権(鎌倉) 管領(室町)
主な役割 将軍の代行・実質支配者 将軍の補佐・政務執行
実権 非常に強い(将軍を超える) 将軍の下で補佐的
任命者 北条氏による世襲 三管領家の交代制
代表人物 北条泰時 細川勝元など

このように、執権と管領は似て非なる存在です。日本の武家政治の変遷を理解する上で、この違いはとても重要なポイントになります。

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