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宇佐八幡宮信託事件が日本史を変えた理由|道鏡の野望と桓武天皇の決断

天皇の座を、僧侶が奪おうとした――そんな前代未聞の政変劇が、奈良時代の終わりに起こりました。それが「宇佐八幡宮信託事件(うさはちまんぐう しんたくじけん)」です。
時の権力者・道鏡(どうきょう)は、女帝・称徳天皇の寵愛を背景に、自らが天皇になろうと画策。しかしそれに立ちはだかったのが、九州・宇佐八幡宮からの「神託(しんたく)」でした。
この事件は単なる宮廷内の権力争いにとどまらず、日本の政教分離や天皇制のあり方に深く影響を与えた歴史の転換点となります。そして、その後に即位する桓武天皇の決断が、平安京遷都へとつながっていくのです。

目次

宇佐八幡宮神託事件とは?

時期:770年頃(奈良時代末期) 称徳天皇(女帝)の治世 

宇佐八幡宮信託事件(うさはちまんぐうしんたくじけん)は、770年(神護景雲4年)頃に起きた出来事です。これは奈良時代の末期にあたり、日本の政教関係が大きく揺らいだ象徴的事件でした。

  • 称徳天皇(しょうとくてんのう:旧名・孝謙天皇)の治世

  • 時代は律令制国家が成立し、仏教が国家宗教として強く推進されていた頃

  • 特に、仏教の政治介入が深刻化していた時期


▶ 当時の時代背景:仏教と政治が密接に結びついた時代

◆ 仏教の影響力が強まりすぎた時代

奈良時代の朝廷は、国家の安定や天皇の健康を祈る目的で仏教を厚く保護していました。
しかし次第に、仏教勢力が政治そのものに深く関与するようになっていきます。

  • 仏教寺院が国家の拠点に置かれ、僧侶が政治顧問のような立場に

  • 特に称徳天皇は、僧の**道鏡(どうきょう)**に深く心酔

  • 道鏡は「法王」や「太政大臣禅師」など、前例のない高位に就任


称徳天皇の寵愛を受けた道鏡は、次第に天皇の地位そのものを狙うようになり、ここで問題となったのが「宇佐八幡宮信託事件」でした。


登場人物


名前役割・立場
称徳天皇(しょうとくてんのう)元は孝謙天皇として即位し、のちに再び即位(重祚)して称徳天皇に。仏教に深く傾倒し、僧の道鏡を重用したことで知られる。
道鏡(どうきょう)僧侶出身で、称徳天皇の側近として絶大な信頼を得た。異例の出世を遂げ、政治の実権を握るまでになるが、その急激な台頭は朝廷内外で大きな波紋を呼ぶ。
和気清麻呂(わけのきよまろ)下級貴族ながら、宇佐八幡宮に神託を確認しに派遣されるという大役を担う。その報告により道鏡の野望を阻止し、後に忠義の士として名を残す。
宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)大分県にある八幡神を祀る古社。国家の重大事の際には神意(神託)を仰ぐ重要な神社とされ、「道鏡を天皇にすべし」という神託があったとされる事件の舞台。

事件の流れ

  • 称徳天皇と道鏡の関係が深まる

    称徳天皇は病弱で、その治療や精神的支えを道鏡に求めるようになりました。道鏡は天皇の絶大な信頼を受け、僧でありながら政界の頂点に近づいていきます。
  • 道鏡を「天皇に」と推す動きが起きる
    ある時、「宇佐八幡宮から『道鏡を天皇にすれば天下は安泰になる』という神託があった」とする報告が朝廷にもたらされます。
    この報告に基づき、称徳天皇は実際に道鏡を天皇にしようと動き出しました。


  • 和気清麻呂が真相確認のため派遣される
    しかし、「本当にそんな神託があったのか?」という疑念が生じ、下級貴族だった和気清麻呂が宇佐八幡宮に派遣されます。


  • 神託は「道鏡は不適任」と否定される
    和気清麻呂は帰京後、「八幡大神は『天つ日嗣(あまつひつぎ=皇位)は必ず皇族が継ぐもの。道鏡は適さない』と告げた」と報告。
    これは道鏡の即位を真っ向から否定する内容であり、道鏡の野望は大きく後退することになります。

    和気清麻呂が神託の内容を「道鏡を天皇にしてはならぬ」と報告した背景には、皇統の正統性を守る信念道鏡政権への反発、そして反道鏡勢力との連携など、強い政治的意図があった可能性が高いと考えられます。 
  • 気清麻呂は流罪に、道鏡も失脚

    激怒した称徳天皇は和気清麻呂を流罪に処しますが、称徳天皇の死後、道鏡は急速に失脚し、政界から姿を消します。


なぜこの事件が重要なのか?

  • 僧侶が天皇になろうとした前代未聞の事態

  • 神道と仏教の対立・緊張が表面化した象徴的事件

  • 政教分離の必要性が浮き彫りになったきっかけ


この事件は、天皇の権威が「仏教勢力によって脅かされる」ことの危険性を朝廷内に知らしめることとなり、桓武天皇による平安遷都の思想的背景になったと考えられています。


宇佐八幡の神託の重みとは?

奈良時代において、「宇佐八幡宮の神託」は国家の方向性を左右するほどの重みを持っていました。
このため、神託を都合よく利用しようとする者も現れたわけですが、最終的に神意は政治を制する力を持つものではないという教訓が残されたとも言えるでしょう。

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